アムステルダムNDSM 埠頭

1998年にアムステルダムでは12箇所の文化的な拠点からアーティストたちが大規模な退去を強いられ、その結果1000人のアーティストがスタジオを失うという事態が生じた。彼らはロッテルダムやベルリンといった他の都市へと移って行った。エヴァ・デ・クラークは、当時、キネティック・ノード(Kinetisch Noord)というサイトスペシィフック演劇集団でアーティストや演劇製作者、スケーター等とともに活動していた。エヴァはこれらの人々とともに、アムステルダムにある古い元造船所のNDSMを創造的に再開発するための革新的な計画を集団で提案したのである

アーティストたち自身の手によるこの再開発計画によって、古い元造船所には、環境にやさしく、創造的でかつ多様に富み、さらに手ごろな価格で持続可能で有機的だという特色を有する開発が行われたのである。そしてこの場所には、スタジオ、劇場の舞台、屋内スケート場、レストラン、会合スペース、実験的試みやパフォーマンスのための場が設けられた。ここは約250名のアーティストと、賃貸管理を担当する組織からなる「しっかりした基本構造を持つ町」になったのである。

20,000㎡に及ぶ建物の修復とその後の保守管理は大変な作業であった。この中には新しい屋根の建設も含まれた。この巨大な修復プロジェクトには、防火設備の設置や、「しっかりした基本構造を持つ町」の構想を鉄骨とコンクリートの枠組みで表現するための費用まで含めると、1500万ユーロ必要であった。

エヴァは開発計画の構想をまとめ100万ユーロの建設補助金を獲得した。また市政府が元造船所の所有者である地区政府に対して差額の貸付を行なった。アーティストたちの支払う家賃がこの貸付金の利子に充てられている。さらに120のスタジオについては、そこを利用するアーティストが自分たちの手で資金を出し建設を行い、その総額は500万ユーロ以上に上った。

2008年はじめに、エヴァが主導してこの造船所の所有権を獲得するための活動を行なった。そしてアーティストたちはこれからのNDSM(Future NDSM) という組織を創設し、この建物と周辺地域の更なる発展のために取り組みを行っている。

ショートフィルムNDSM 1945-2006を参照してください

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