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NDSM造船所

1984年のオランダ造船会社(NDSM)の倒産以降、アムステルダム北部のこの地域は社会から放置された状態が続き、試験的にDogtropという団体の劇やフリーマーケット開催以外はこれといった催し物もなく時が過ぎていきました。1998年、アムステルダムの数多くの工場跡や古い波止場が完全撤退や廃棄の対象に上がり、エヴァを含む千を越えるアーティスト、デザイナー、劇場関係者、新鋭芸術家達が活動拠点を失う危機に直面してしまいました。 2000年、エヴァはこのアムステルダム北部地区役所主催の競売でNDSM東地区84000平米の一時活用権を取得しました。彼女は的場適所に人々を集結させ、開発理念を明記、実行可能性調査の評価を示唆、必要財源と追加助成金の手配など、デザインから建築許可に至るまで全ての工程責任を一任しました。そしてカイネテック•ノード(北地区造船)の名の下に劇場関係者、スケートボーダー、信頼のおける起業家とともに巨大な造船ホールへと事業場所を移しました。当初、カイネテック•ノードはただの作業仲間の集まりにすぎなかったのですが、Kunststad(芸術の街)、Skatepark(スケート公園)、レストラン’Noorderlight’の独特なプロジェクトの参加が起爆剤となり、いつしか管理財団へと成長していきました。 NDSMには未来があります。2002年初旬、このプロジェクトは都市開発計画及び環境経済省より、「オランダにおける都市再生の手本」として推薦されたのです。その数年後には、アムステルダムの文化的最新スポットとして注目され、その人気は落ちることをしりません。NDSMは可能性を最大限に追求出来るヨーロッパ最大の場所とも言えます。 スケートパーク、MTV、数々の大型フェスティバルの開催会場、PllekやNoorderlightと言ったレストランが揃った類を見ない芸術の街。。。まさに廃棄の危機を免れ見事に復活させたのです。おかげさまで、昔のようにフェリーもアムステルダム中央駅と往復ルートを再開させました。…

ヘースターフェルド

2009年、アムステルダム南東部に位置するヘースターフェルド複合建築は、かつてのバイメールの姿を残す数少ないのものとなっていました。ジャン・ヴァン・ゴールの特徴的な建築様式は未だ健在でしたが、それ依然にヘースターフェルドは非雇用率、犯罪、薬物などの問題に悩まされており、誰も注意を向けない無法地帯と化していました。アムステルダム住宅社団法人のアイメーレはヘースターフェルドの建物を取り壊し新たに家々を建築したいと考えましたが、財政危機の結果2017年まではその計画は延期されることとなりました。その間、ヘースターフェルドの複合建築でなにができるでしょうか。アイメーレの委任を受け、エヴァはいくつかのプロジェクトを立ち上げました。これがヘースターフェルドを人々が住み働きでかけることのできる理想の場所へと進化させることとなるのです。…

アートシティ

NDSM造船所跡地にある巨大な建造物ホールは「クンストスタッド」(芸術の街)と呼ばれています。12の舞台練習場がある東側と、屋内スケートパークがある西側の丁度真ん中に位置しているこの街には、80のスタジオと小型ビジネスエリアが配置されています。個人の創作力と多様性に可能な限り対応し、この場所を使用する人自身がデザインに関われるよう、全ては鉄のフレームとコンクリートの打ちっぱなしの構造躯体のまま利用者に引き渡されます。 現在、ここを使用している芸術家たちは、構内での改装や支払いも終了した上で、自分たちのスタジオとして活用しています。天井の巨大な窓から溢れるばかりの太陽の光が差しこむこの場所は、別名ライト・ストリート(陽の路)と呼ばれ 構造躯体のままの空間へとつながっています。 開始当初から実際に建物が完成するまの工程では、エヴァ本人が責任者として指揮をとってきました。躯体構造の概念を提案し、デザイン、作業所の手配等にも携わり、彼女も利用者の一人として自分のコンテナーのデザインを試みました。…

NDSMツアー&トーク

エヴァのところにはNDSM造船所に関しての講義やツアーの依頼がよくあります。それは国内外より放置されていた造船所を文化的なホットスポットに変化させたことにたくさんの人が注目しているからです。学者から文化人まで、多くの人がエヴァの関わったNDSM造船所改造計画をもっともユニークなものの一つとたたえています。チャレンジ精神から計画の規模の大きさ、「骨組みとしての都市」モデルまで、彼女の「インポッシブルだけど完全に無理ではない」というモットーのもと全てを実現できたのです。…

アイ湾沿岸工業建築組合

アイ湾沿岸工業建築組合とはアイ湾マンハッタン計画の影響を受けて、1993年に設立されたアムステルダム市主導下のアイ湾土手大規模再開発と、土地回収業者、及び銀行が共同で立ち上げた組合です(現在の The Zuidas) 。組合の発起人は湾沿いにある12棟の建築物を不法占領していたそこの住民や芸術家達でした。彼らの当初から訴える主張とは建設物によって街の文化破壊を阻止する事、そこで組合は長い間放棄された工業用地を再調査し、都市開発を目的とした前例のない新しい提案を作成しました。それは「骨組としての都市」と1996年に名付けられ、翌年にはHet Kerend Tij(潮の変わり目)という書物に取り上げられました。それにより現代都市計画の青写真が出来上がり、居住者(利用者)による、彼らの為の都市革新事業へと躍進しました。 さらに組合は居住者の挙げたいくつかの改善策や文化団体の組織化をはかり、彼らの居場所を確保する為の様々な援助を行いました。中でも成功例としてはPlantage Dok,Het Veen,Pakhuis Wilhelmina,OT301が存在しますが、中でも有名なのは「骨組みとしての都市」のモデルとなった「芸術の街」のあるNDSM造船所でしょう。 1997年以降、エバは建設組合とは、2棟の建築物の利用者という事も含め色々と深く関与していました。彼女は広報管理、実演説明、傍聴会、文化宣言をこなし、市議会のロビー活動の場で開発委員会(Incubator Policy)が発足、エバは2006年、建設組合の中心人物に指名されました。 20年の長期にわたる努力は身を結び、それは市の文化政策に多大な影響を与えました。適切な予算のもとで開発委員会スタートさせ、文化建築物と芸術家達、市議会と公共住宅機構との架け橋を作り上げました。…

「骨組みとしての都市」

「骨組としての都市」とは(The City As A Framework) は利用者の意見を基にした都市開発モデルを指します。(ここで使われる「骨組み」とは建物や。船体の基礎構造。)骨組の中で利用者は責任を持ってそれぞれの環境作り出し、ビジネスを展開し、それによって活気のある街を作り上げて行く事が目的です。この構想の目的はそうした骨組の中に活気のある街を作り出す事にあります。街で、人々はその生活環境に自発的に協賛し、自信の才能を展開させビジネスへと活かします。この「骨組としての都市」対策はエバを奮起させました。エバは新たな形の土地開発のためアムステル当局での働きかけに奔走するのです。彼女は、地域への部外者参入を促進し、彼らに自発性を付与することで、その地域をより彩り豊かで多様な空間へとすることを目指しました。「骨組みとしての都市」の街のイメージはNDSM造船所とHeesterveldでのエバの活動に見て取れます。 「骨組としての都市」の考え方によればその場所の利用者は受動的な消費者とは捉えず、むしろ地域発展や自宅、近隣環境などの分野の管理においても。能動的な仲間達として捉えられます。複数の仲間との協力的な取り組みは斬新で、個々のスポンサーと業者が都市開発に従事する古典的なやり方を一掃しました。これにより、仕事や住居空間を利用する全ての人々の様々な要求に対し、同じ利用者が即対処する事が可能です。「骨組み」とは広範囲に捉えた概念であり、建築構造の枠組みのみならず、公共事業の流通、療養施設の設置、周辺地域の管理など様々な意味を持ちます。既に各建物ごとの運営組合を立ち上げました。 実存する建築物の重要性を見いだす事から始まったこの計画は、時を経て、「改変」がいかに重要であるかを再認識させられる事となりました。従来の都市開発は、マニュアル通りの対策に従って対処していたものですが、「骨組みとしての都市」の方針では今必要としている事柄を優先的に決してスピーディではありませんが対処していきます。それにより建物自体の価値も上がっていきました。 「骨組みとしての都市」はアイ湾沿岸工業建築組合でまとまったアムステルダムにある数棟の建物でも実施されています。旧造船所や倉庫跡地の建造物は時には再利用には不向きな場合もあるのが現状です。しかし、殆どがゼロの状態から芸術家、技術者、企業家などの協力の下でそれぞれの活動拠点を作り上げ。成功して行く例も多々あります。現在は芸術、デザイン、音楽、映画、建築。。。その他多様な創造性を磨き上げる舞台となり、そのような情報を生み出す発信地となっています。 その中でもNDSM埠頭に位置するエバの「アートシティ」が最も有名であるのは言うまでもありません。もちろん、企画、開発、財政面に至るまで全てを利用者の手で作り上げていきました。…